星というやつで人の心なんて読めやしない。鏡というやつも人の心なんか映せやしない。つまりわたしにもあのひとにも誰にでも、本当に人の心を知る術は無いってこと。自分の心を知るだけでも難しいっていうのに、それを達成せずして人の心まであれこれ知ろうとするなんて人間というやつは欲張りすぎる。

 そしてその欲張りの一般的例が、このわたし。




藤色ライラック



「読書の秋というものはいいものだね」
「んー」

 ……生返事。横を向いて斜め上を見上げるとそこにはリーマスの横顔があった。少し目を動かせばページをめくる長い指。視線を戻すと文字と追いかけっこするビー玉みたいな瞳。本棚の隙間から差し込む陽光にきらきら光る睫毛。何て美しいんだろう。ほら、鼻なんかすらっと高い。わたしの団子っ鼻とは大違い。

「わたし、この本好き」

 手に持っていた本をひっくり返したら、表紙が見えた。海と、空と。もう一度ひっくり返す。裏表紙には、1羽の兎。表も裏も全部白黒だ。

「どうして?」

 やっと喋った、ともう一度横を見上げた。リーマスが本から目を離してちゃんとわたしを見ていた。わたしは涙が出そうになった。何故だろう。わからない。

「色の話が出てくるんだ」
「色?」
「うん。あなたがいればわたしの心は空の色、とかね」

リーマスがくすりと笑った。あまりにも密やかな笑いだったから、わたしは耳元でくすりとやられたかのような錯覚に陥る。くすくす、それって凄くくさい台詞だ、なんて。

「くさいけど、そういうのっていいよ」
「うん?」
「わたしの中にはね、琥珀色の空がある」
「琥珀色の空」
「そう」

 リーマスはまだ何か聞きたそうな顔をしたけれど、次の瞬間にはわたしの話に付き合う気が失せたらしい。また手元に目を戻した。でもページをめくる手つきが速くなったのを見ると、付き合う気が失せたのではなくてわたしの心に踏み込む前に切り上げた、と言った方が正解かな。

「リーマスは?」
「え」
「リーマスは、何か心の中に色って、ある?」
「…………、あるよ」

 何か考えるようにまた手元に目を落として、それからリーマスはぱたんと本を閉じた。真面目に整っていた横顔が穏やかになって、そのうちいつもの微笑みが浮かんだ。いつもの微笑み、なのに、今日は何だか凄く優しい瞳をしている。リーマスはわたしをじっと見つめると、ふと真剣な顔になった。

「藤色。……ライラックの、藤色」

 その口調は表情同様に真剣だったけれど、とても優しかった。リーマスの心を覗いてしまった気がして、嬉しいけれど良かったのかなという気がして、わたしはふーんと言って目を泳がせようとする。でもその前にリーマスの手が伸びてきて、長い指がわたしの頬に触れた。長い睫毛がもうすぐそこにあって、陽光に輝いた髪の向こうに本棚が黙って立っていた。わたしは浅く息を吸い込む。するとごん、と額に何かを感じた。リーマスのビー玉みたいな瞳が、きらきらと楽しそうにわたしを見上げている。

「君のことを考えると、いつも藤色のライラックを思い出すんだ」
「藤色の、ライラック?」
「そう」
「……ねぇリーマス?」
「何?」
「聞いても良いかな」
「いいよ」

 名残惜しかったけれど、リーマスの額から自分の額を引き剥がして、わたしはその顔をじっと見た。穏やかだ。こんなチャンスはめったとない。こんなに心を開いてくれているリーマスは、今まで見たことがない。リーマスはじっとわたしを見つめ返している。ふいにまた、泣きそうになった。

「何で、藤色なの?しかもライラック限定で」
「……ねぇ、
「うん?」
「……花言葉って、誰が考えたんだろうね?」

リーマスが囁くように言った。わたしはん?と目を瞬いて、リーマスはそれを見ておかしそうに笑った。聞いても良いって言われたから聞いたんだけど、ってそうか。これが答えなんだ。花言葉、と呟いて、はっとした。

「ちょっと待っててね」

 わたしがそう言うと、リーマスはまた微笑んで持っていた本を開いた。わたしはそれを見て急ぎ足で歩き出す。右に曲がって、また左。途中で爆睡しているピーターを見つけてひとりで笑った。花言葉、花言葉。リーマスがわたしのことを考えたとき、その脳裏を横切る、藤色のライラック。



「……、あ」

 これだ、と指に引っ掛けた本は装丁そのものから花の香りがしてきそうだった。ぱら、とめくってみる。ぱらぱら、ぱらぱら。途中で『Lily』の文字を見つけた。花言葉は『純潔』。思わずにっこりしてしまう。さらにめくっていくと、小ぶりの花がこんもりふんわり寄り添っている挿絵を見つけた。見開きの右側が白で、左が、藤色。ライラックだ。

「えっと、花言葉は………、」

モクセイ科・ハシドイ属。
白色の花言葉:『青春の天真らんまんさ』
藤色の花言葉:



「…………、『初恋』」







 ぽん、と頭に手が置かれた感触がした。何回目かわからないけれど手の甲で涙を拭って、目を上げた。窓辺に背を預けていたせいで背中が熱い。そこにいたのは、リーマスだった。数分前に見たとても優しい微笑みが、もっと大きくなって笑顔になっていた。

「勇気がなくてごめんね。遠まわし過ぎた?」

 わたしはぶん、と首を振った。遠まわし、だって。リーマスがやることにしてはまだ、直接的だけど。リーマスが考える悪戯のことを思い出して、わたしは少し笑った。
黙って本を棚に戻そうとしたわたしの手を、リーマスの手がそっと掴む。

「借りていこう。談話室で一緒に読まない?」
「、うん」
「………どうしたの?」

 リーマスがわたしをそっと覗き込んだ。わたしは感極まってまた泣いてしまった。リーマスのセーターの袖を掴んだら、ちょっと躊躇いがちに抱きしめてくれた。華奢だけどしっかりした肩に頭を預けながら目を閉じたその脳裏には、窓辺でふんわりと、あの挿絵が咲いていた。