ドリーム小説
どうせなら消えてしまいたかった
(小さな生きものが墜落して、ふつりとその命を絶ってしまうように)
飽きてしまった世界が恨めしかった
(ああわたしはこのままここで生きてゆくのだろうか)
誰も私を迎えになど来ない、―――――はずだった。
ベッドに仰向けに寝転がって、目を閉じた。手探りで枕を抱き寄せる。
窓の外は夜であるせいかしんと静かで、は肌寒さに小さく身震いをしてシーツを引き上げた。
穏やかな夜。
そして明日の朝目を覚ませば、違う世界へと旅立てるのだ。
まるで昨日の今頃のことが嘘みたいだと、遠のく意識の中でそう思った。
01.My mind is winding.
家が燃えた。特に慣れも親しみもない家が。
両親が小さな頃に死んでから、ずっと孤児院で暮らしていた。
11歳になった頃やっと見つかったという親戚は、醜悪な性質の伯父一家だった。
成金みたいな小金持ちで白くて横に長い小さな屋敷に不釣合いのテニスコート6面分くらいの庭で2匹のドーベルマンを飼っていて。伯父はひょろりと背が高くて意地の悪い目をしていて義伯母は自身の甲高い声にやられたみたいにしょっちゅう目をくるくるさせて風船みたいなお腹をゆさゆさ揺らしていた。母親にそっくりな従姉妹ふたりの耳障りな笑い声が、鮮やかに思い出される。
―――――くすくすくす、いやあだ、何?この貧相な、骨と皮みたいな子。
一家の印象も、あの邸宅での暮らしも最低で最悪で。ひたすらメイドの様な扱いだった(とはいってもメイドを雇うお金までは無かったらしいから、メイド(?)はひとりだった)。
それに加えて、の亡くなった両親のことをよく罵った。死因はまぬけな事故だった、と繰り返して。
従姉妹たちには毎日鶏の様に追い立てられて、体中痣だらけだった。家の中を縦横無尽に野放しにされたブルドッグ3匹から逃げようとして階段から足を踏み外したこともある。
父親の姓を名乗っていたので学校では孤児の振りをして、裏口から帰宅した。みすぼらしい身なりから、クラスの子どもたちには白い目で見られ、教師からは見てみぬ振りをされた。
それでもはひたすら耐えた。
いつかこんな暮らしにも終わりが来る、大人になれば仕事を見つけて伯父の世話にはならずに生きていく。この忌々しい、外面を塗り固めただけの家から出て行く。両親のことは詳しくは知らない。それでも、もう彼らのことは悪く言わせない。きっと出て行くんだ。この家から。
それは7月の終わりの、ある暑い日。―――昨日の、ことだった。
街中が浮かれ騒ぐ休日には庭の草刈りを言い渡され、手渡されたいじめのように小さな草刈り鎌を使って、大汗を掻きながら地道に草を刈り続けた。時々従姉妹ふたりが交互に、時にはセットでやって来て、ばしゃばしゃと水風船をに投げつけた。ふたりは悪戯のつもりでやっているのだが、には風船が割れたときに飛び散る水が涼しくて逆に可笑しく思えた。
はこの家に来て4年目、15歳になっていて、従姉妹たちはまだ姉が10歳、妹が9歳と、幼かった。
「さっさと刈りなさいよ」
半分ほど刈り終わった頃、水風船を腕いっぱいに抱えた姉のレイラが今日8度目の台詞を吐いた。
「あと10分で終わらないと、あのこたち放しちゃうわよ」
あのこたち。
は庭の端に繋がれたドーベルマン2匹をちらと見やって、小さく息を呑んだ。
そして今までに刈り終わった庭半分を眺め、手元の草の汁にまみれた小さな鎌を見下ろして嘆息した。・・・何度やっても慣れないな、手際が良くならない。
時はもうすでに夕刻で、夏とはいえ陽はだいぶ沈んでいた。は腹の空き具合からして、もう7時はとっくに過ぎているんだろうな、とふと思った(もっとも、いつも空腹だったので腹時計はたいていあてにはならなかった)。
レイラが屋敷に引っ込み何分か経った頃、伯父が従姉妹ふたりを引き連れて庭に出て来た。妹のリースが庭を見渡して「刈るまえのほうがまだましだったわね」と蔑む様に呟いた。
明日客人が来るので徹夜で草刈を終わらせるという約束を取り付けさせられて、は遅めの夕食にありついた。以外はとっくに食事を済ませていたようで、一家はテレビを観ながらくつろいでいた。
今日は特別に早めにシャワーを浴びても良いと言われたので、は軽い足取りで階段を上がりシャワーを済ませて、自室として当てられた2階の隅の物置部屋に落ち着いた。
時計は午後9時半を過ぎていて、ふと「徹夜で草刈り」の約束を思い出しては憂鬱になった。どうせなら、今日早めにシャワーを浴びるのではなく、明日草刈りが終わってからのシャワーを許可してもらえば良かった。10時を過ぎればあのうるさい義伯母が、金切り声でわたしを呼ぶだろう。
窓を開け放して夜空を見上げると、見事な満月だった。戸棚の上に立てた小さな鏡が目に入って覗き込むと、見慣れた自分の顔が映った。黒い肩までの髪。黒い瞳。母は東洋人だと聞いた。父の面影はといえば、白い肌と東洋人にしてはやや通った鼻筋だろうか。伯父や従姉妹とは、似ても似つかない。
は両手の平を広げて、握った。夏だというのに、洗い物をし過ぎてひび割れた手。芝で切った傷が生なましくて、隠したくて、よれよれのTシャツに擦り付けた。
いつまでこの生活が続くのだろうか。一本調子の、単調な毎日。この小さな屋敷で、奴隷のように働いて。楽しいことなど何も無い。孤児院での生活の方が、まだ良かった。同じ境遇の仲間がいた。わかってくれる先生たちがいた。親族などいなくたって、それなりに楽しくて、満たされていた。
庭をうろつくドーベルマンを眺めた。これからの労働を考えた。ソファに寝そべる伯父夫妻を思い浮かべた。指を指して笑いながら水風船を投げつけてくる従姉妹ふたりを思い出した。ふつふつと、何かが湧き上がってくる。
―――――いけない、いけない。冷静にならなくちゃ。
ベッドにダイブして壁に背を預け、膝を抱えて部屋を見渡した。質素な机、戸棚。ちかちかと瞬く、ちいさな笠をかぶった電球。スプリングのばねが崩れ落ちそうな、この簡素なベッド。クラスの子に、こんな部屋で過ごしている子が自分以外に何人いるのだろうか。こんなくたびれたシャツと半ズボンを履いた女の子が、何人いる?
限界。
はそれを感じたときいつもするように、じっと部屋の隅を見つめた。心の中で一心に呟く。
―――――燃えろ燃えろ、燃えろ。
けれどそうやって唱えることができるのは、自分の視線だけで軋む床から炎が燃え上がるなどということは有り得ないとわかっているからだった。いつだって、煙の一筋も上がらなかった。
けれどその日は、違った。つんと鼻をつくようなにおいがして、見つめていた部屋の隅からふわりと白く細い煙が立ち上ったかと思うと、ボッと鈍い音がして夕陽色の火が点った。
は慌ててシーツを引っ掴みそこへ被せたが、逆に危険かも知れないと引っ込めた。もう一度炎を見やると、それはじわじわと床を侵食し始めていた。
それなのに、「消さなければ」という観念はいつの間にか吹き飛んでいた。
気がつくとは、邸宅の門の外に集まる群衆の後ろから、ぼうっと伯父一家が炎上するのを眺めていた。裸足だったので、きっと裏口から出て来たのだろうと他人事のように思った。
伯父一家が消防隊の人たちに連れられながら屋敷から出てくるのを、ふわふわとした意識のまま見た。従姉妹たちは両手に菓子をたくさん抱えていて、義伯母は「まだワンちゃんたちが中にいるの!」とヒステリックに叫んでいた。
ふと、黙りこくって促されるまま歩いていた伯父が顔を上げる。遠くから見ていたと、目が合った。は我に帰ってびくりと肩を揺らして、それでも真っ直ぐ伯父を見据えた。彼が家族とともに救急車に乗って去っていっても、消火活動は続いていた。は先程伯父を睨みつけた自分を思い出し、自分でも信じられないほど勇敢だったと感嘆したが、次には俯いて、これからどうしようと不安に思った。
このまま逃げたって、きっと伯父さんはわたしを捜して罰を与える。それに、逃げる場所だってない。これからどうすればいい、どこへ行けばいい。今までは、地獄とはいえ帰る場所があった。眠るベッドがあり、夕食だってあった。でも、それももう―――――は煤で汚れたかつての真っ白な屋敷を見上げ、炎の勢いに深く俯いた。どうしよう。どうしよう。わたし、どこへ行けばいい?
つま先が7月の夜風に冷やされる頃、とん、と肩に手を置かれてはびくりと体を震わせた。
驚いて仰ぎ見ると、真っ白な髭をたっぷりとたくわえた老人が立っていた。思わずかち合った、その空色の瞳に吸い込まれそうな感覚に陥った。
「おぬしが・じゃな」
フルネームを知っている上に疑問系ではなく断定した老人に、は目を見開いた。
「どう、して・・・・・・」
「迎えに来たんじゃよ、。こう言うては何じゃが・・・この日を、待っておった」
「この日を・・・今日を、待ってた?」
「そうじゃ」
かたかたと石畳の冷たさに震えるの肩に手を置いて、老人は優しく微笑んだ。はその手の暖かさに、何か懐かしいものを感じて目に涙を浮かべた。ああ、人の体温って、こんなに温かいものだったっけ。
「おいで」
老人の、しわしわだけれど大きな手に肩を抱かれ、促されるままには歩き出した。彼が誰なのか、何故自分を知っているのか、「迎えに来た」とはどういうことなのか、尋ねたいことはたくさんあるはずなのに、そんなことは今はどうでも良かった。
ただ、ふらつく足取りの自分を、支えてくれる何かがあれば、誰かがいれば。
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Post Script
やっと更新出来ました。と同時に新連載開始です。
狼の連載も終わっていないというのに何故始めるのかといいますと、あの、何て言うか、気分、です。(爆
そして念願の犬連載。書き溜めていたものとはまた別で、今年の初めくらいから構想を練ってました。予想ではたぶん長くなると思います。
詳細はdiaryからメモを見て頂けると嬉しいです。ヒロイン設定諸々書いてますので。
[080203]