ドリーム小説
ひとり一人独り
誰もこの手を強引に掴んでなどくれない
誰も本当の愛など与えてくれはしない
光をくれた奴らと、馬鹿をやっていればいいんだ
守りたくなる存在なんて、奴ら以外には必要ない
必要、ないんだ
07. Thrust forward through the twist darkness.
『一人暮らし一日目はどう?よく眠れた?うまくいきそうかい?
ま、それも8月の中旬が過ぎれば終わるんだし、寂しくてももう少しの辛抱だよ!ねぇ、もう日にちは決めておいたほうがいいと思うんだけど。何で迎えに行こうかなぁ。やっぱり箒?
あ、そうだ。折角なんだから、君はこの機会にもう少し社会というものを勉強しておくべきだと思うね、うん。
もっとちゃんと、馴染むことを覚えようじゃないか。僕?僕は大丈夫さ。順応能力ってやつが高いんだ!君も知ってるだろう?そうそうそれにね、』
―――――そこまで読むとシリウスは、ふぅ、と息を吐いた。長ぇよ、そう呆れたように呟きつつも笑みを浮かべ、親友、もとい悪友ジェームズからの手紙を、その長い指でそっと畳む。
窓辺を見やると、大きな目をした小柄なフクロウが物欲しそうにじっとこちらを見つめている。シリウスは苦笑して立ち上がると、無造作に積まれた荷物の中からごそごそと紙の箱を掘り出し、中身のビスケットをそちらへ放った。
フクロウはばさばさと羽音を立てて飛び上がり、その嘴でビスケットを捕まえた。
「ナイスキャッチ」
シリウスは楽しそうにそう言うと、フクロウが飛び去って行った窓から顔を出す。
潮風がふわりと、頬を撫でた。
家を出たのは昨日。しかし決して家出ではない。
16になったら必ず家を出ると心に決めているのだが、実際はまだ15だ。来年家を出たときにどう生活していくのかを学ぶため、不本意ながら親にも了承を得て(目的はもちろん伏せておいた)家を出て来た。
シリウスはふと苦笑する。・・・・・・でも結局後半は、ジェームズん家で世話になるんだけどな。
家を忌み嫌い早く飛び出したいと偉そうな口を叩きつつも、結局はその憎き「家」に養ってもらっているという事実は変わらない。あの家に生まれそのしきたりの中で育ったと思うと吐き気がするが、今いる親友たちに出会うことが出来たのはただ、この世に生んでもらえたからだ(例えどんなに非情な環境であろうと)。
そんな空虚な矛盾を感じながら日々生きている。
俺は何がしたいんだ?何が欲しいんだ?何をして生きていけばいいんだ?
「行ってきまーす」
軽い調子の声が聞こえてふと下を見やると、緑色のTシャツ、膝丈ほどのデニムのスカートにサンダルといった夏真っ盛りの軽装の少女がアパートメントの玄関から軽やかに外に出て来た。あれは昨日の、とシリウスは少し身を乗り出す。さらさらと揺れる少女の黒髪が、今日は朝陽に輝いていた。
大きな黒い犬に姿を変えたまま、シリウスは町をうろつく。
広場には朝から活気が溢れていて、小さな子どもたちが大きな噴水の中に入って嬉しそうにはしゃいでいる。パンの香りがふと漂ってきて、そちらを振り返る。目を凝らすと、店内にあの少女が見えた。
「あ、犬!」
ぼうっとパン屋の方を眺めていたシリウスは、その声ではっと我に返った。噴水の中で遊んでいた子どもたちが、雫を振りまきながらこちらへ走り寄って来る。逃げ出そうとするが、子どもたちのあまりの勢いに驚いている間にがっちりと抱きつかれてしまった。もがこうにも何人もの子どもたちに抱きつかれているのでうまく動けないし、傷つけてしまうのも忍びなくて、シリウスは半ば投げやりになりながら大人しくそこへ立っていた。
やがて、店主らしき人物と話していた少女が外へ出て来た。
小脇にバゲットを1本抱え、悠々と広場を横切っていく。子どもたちにもみくちゃにされているシリウスどころかきゃいきゃいと騒いでいる子どもたちに目もくれず、道路を越えて身軽に堤防に飛び乗った。
(誰かこの状況どうにかしてくんねーかな・・・)
シリウスはパンをちぎっては口に運んでいる少女を半眼で眺めながら、ぼんやりとそんなことを思った。水遊びをしていた子どもたちに触られているせいで、自分も全身びしょびしょだ。
いっそ無理やり振り切って逃げちまうかな―――――と思ったその時、喝を飛ばす声が聞こえた。
「これジョン!頼んでおいた手伝いはもう終わったのかい!」
その声に、子どもたちのうちの一人が飛び上がった。
「マ、ママ!」
「昼までに終わらせないと昼飯抜きだよ!ほらあんたらも手伝いな!」
子どもたちが急いで走り去ってしまうと、喝を飛ばした体格の良い女性があははと笑った。
「うちの息子と悪ガキどもが悪かったね、わんころ。ほらこれ食いな」
女性のエプロンから引っ張り出されぽんと放られた骨付きの小ぶりな肉に、シリウスは静かに噛り付いた。首輪もつけていない犬なのにがっつかないその様子を見て、女性は驚いたように目を丸くした。
「おや、野良犬じゃないみたいだね。そういや、綺麗な毛並みしてるし。誰んちの犬だい?」
がさつな撫で方だったが、不思議と不快にはならなかった。しゃがんでシリウスと同じ高さにされた瞳は、透き通るようなモスグリーンだった。
「あたしはマリア。旦那がそこの肉屋のオーナーなんだよ。腹が減ったら裏に回っておいで。売れ残りやら何やら色々積んであるから」
マリアはウィンクをひとつシリウスに投げ掛けると、よっこいしょと立ち上がる。そして少し遠くを見るように目を細めると、おや、と声を漏らした。
シリウスもつられてそちらを見ると、視線の先にはパンを食べるのをやめたあの少女がいた。
「ありゃぁ、新入りかい。綺麗な黒髪だねぇ」
お前さんの毛並みも負けてないけどね、マリアはそう言ってまた豪快に笑う。
そうして「じゃあまたね」とシリウスをひと撫ですると、今度こそ自分の店のほうへと歩いて行った。
シリウスはマリアの背中を見送ると、一歩一歩急ぐ様子もなく堤防に近付いていく。少女から十分に距離をとったところに飛び乗ると、座ってその様子をじっと観察する。歳は・・・同じくらいか?あーでも年下かも。見た感じちょっと東洋人ぽいし・・・いや、東洋人て幼く見えるとかいうし、やっぱ同じか1個下くらいか。それにしても白いし細いし、飯とか食ってんのか?(しかしシリウスは、少女の手から1本のバゲットが丸々消えているのに気付いて自分の考えに首を振った。)
この穏やかすぎる街で他に何もすることがない(宿題その他諸々は別で)シリウスは、興味の尽きない相手にそろそろと近付いて行った。何故こんなにも気になるのかわからないが、シリウスにしては珍しく、他人に興味を持ったのだ。無意識に足が動いている。
しかし少女の表情がはっきりと読み取れる近さにまで来たとき、シリウスは思わず後悔した。
少女の視線は、地平線を彷徨っていたかと思うと、ふと下に向けられた。何かを考え込んでいるかのように見える。そして、ひどく悲しそうだ。
ぎゅうときつく両目を瞑ると、少女は狭い堤防の上で膝を抱えた。その腕にぐっと力が入る。シリウスは何故か、唇を噛み締めた彼女の表情が見えるような気がした。
そうだ、このまま去ってしまおう。深く関わるべきじゃない。
堤防から飛び降りようと立ち上がり前足を少しずらすと、じゃり、と砂がこすれる音がした。しまった、とシリウスは反射的に少女のほうを見る。
すると、昨日のようにその音に気付き、今度は少女がびく、と肩を震わせこちらを見た。その様子に、シリウスは内心眉を寄せる。
「あー・・・、おはよう」
少女がへら、と力無く笑みを浮かべて挨拶を零した。シリウスは立ち去ろうとするのを完全にやめて、その取り繕ったような笑顔の奥を見ようと、海の方に向き直ったその横顔をじ、と見つめた。
そのうち自分を見つめ続ける視線に耐えられなくなったのか、少女がこちらを向いた。少し困ったように笑っている。首を傾げシリウスを覗き込むようにして、尋ねる。
「ね、どうしたの?何でそんなに見て―――――、」
何でそんなに見てるの、そんな疑問だろう。
しかし彼女の言葉は途中で途切れ、その漆黒の瞳とシリウスの淡い灰色の瞳が出会った。彼女はシリウスの瞳を見つめて絶句しているようだが、シリウスもまた彼女の瞳を見て息を呑んでいた。黒。黒の瞳だ。綺麗な翠色やハシバミ色や、鳶色の瞳やブルーの瞳も見たことはある。しかしこんなに見事な黒は初めて見た。きっと陽が翳ればもっと深い黒になるのだろうが、今は朝ということもあって彼女の瞳は少し茶色がかって見えた。
それと同時に、彼女が何故自分の瞳を見てそんな大袈裟な反応を示すのかわからなかった。
今までも、綺麗な瞳と賞せられたことはたくさんある。数々の女性はこの瞳が好きだと囁いたりもした。そんなことは慣れっこだ。しかしこんな反応をされては、戸惑う。犬の姿で良かったと、シリウスは内心苦笑した。
とその時、ふいと少女は目を逸らしてまた寄せては返す波間に視線を投げた。居心地が悪そうに何度か瞬きをすると、緩く首を振る。
身軽に飛び降りた彼女の髪を潮風が煽るのを、シリウスはじっと眺めていた。
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07話です。
鹿からの手紙部分が楽しかった……早く彼を出したいです。
[080220]